離れ鳥として保護して約17年一緒に過ごした、オカメインコのはち。
彼をお迎えしたのはmugさんと一緒に暮らし始めたころで、
私とmugさんとはちの2人と1羽でわちゃわちゃと過ごしてきました。
この記事の目次
彼を失った後、我が家はどうなるんだ?
と、彼の体重が落ち始めた昨年末頃から彼を失うまでずっと不安に思っていました。
だって、彼との日々は2人と1羽が過ごした時間と同じですから。
子供のいない我が家では、彼が”かすがい”となっていた部分も多く、
彼がいないと、どうやってケンカから仲直りするんだろう?
彼がいないと、ケンカ別れしてしまうんじゃないかな?
なんて事を割と真剣に思っていました。
実際、私もmugさんも若い時は、半年に一回くらいは別れる別れないみたいな大喧嘩も結構ありましたからね。
いやはや、血気盛んだったものです。
彼がいなくなっても、意見の食い違いや等でお互いにヒートアップする事もありますが、
別れる別れないみたいな話にはならなくなったように思います
それはなぜかっていうと、彼と一緒に17年間を過ごした人はmugさんしかいなく、
別れてしまうとその思い出話が出来る人は居なくなってしまうからなんですね。
怒りの矛先を納めるルーチンとして、彼の役割は大きかったのですが、
そんな事より、
「飼い始めた時は寝かしつける時大変で、カゴに入れるの大変だったね。」
とか
「(病院に行く途中だけど)一緒に車に乗った時は喜んでたね。」
とか
「2人で遅く帰って来た時は、怒ってたよね。」
とか、
2人と1羽で積み重ねた17年間の思い出話。
知らない人が聞いたら割とどうでもいい他愛もない日常のお話です。
「ああ。そうなんだね。」
というお話で、何の面白味も無いでしょうけど、
一緒に過ごした思い出話を体験と共に語り合える相方は、とても貴重な存在
そんな感情が芽生えまして。
まぁ、またどっちかが亡くなるまでは一緒に居るんだろうなぁなんて事を思います。
もちろん、彼がいない事はとても寂しく、未だに思い返して胸が苦しくなる事も多いです。
寂しいけども、この寂しさがこそが、今の自分と彼をつなぐ糸のようなものなのかもなぁなんて事を思っています。
だから、ペットロスが怖くてペットを飼えないとか、
居なくなったら家族はどうなってしまうか不安という方も多いでしょうけど、
居なくなったら居なくなったで、ペットとの思い出は永遠に残って、
それを語り合える家族は、より貴重な存在になって、
彼は居なくなっても家族をつなぐ貴重な存在になった
という事に気付きました。
2人と1羽で、永遠に過ごせればそれに越したことは無いのですが、
それは絶対に不可能な事で、ペットロスはやっぱり辛い。
そんなわけで、まだまだペットロスを乗り越えたとは言い難いのですが、乗り越える必要も無いと思いますし、
また落ち着いたらオカメインコ迎えたいね。なんて事を思っている次第です。
おかしい・・・私は犬派だったのに・・・。
ブリーダー歴17年の知見を次に迎えるオカメさんにも活かしたいですしね。
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