父と私

一週間以上留守していました。見に来てくださっていた方申し訳ありません。
父が急逝いたしまして、葬儀のために実家に帰ったり、あとは家でぼんやりしておりました。
今日はすみません、ちょっと父の事を書こうと思います。

父は最終的には心臓病で亡くなりました。
連絡が取れなくなり、民生委員の方や姉の義妹に見に行ってもらったところ
家で倒れていたそうで。

実は父、生前(年明けあたりから)寒い実家から介護施設に行きたいと希望していたのです。それで姉夫婦が実家を訪れ、先週末に介護施設のことで話し合おうとしていたところだったという。

なので、話し合いの前にお風呂に行っておこうとして(実家のお風呂がお湯を沸かすのに手間がかかる状態だった)スーパー銭湯に行ってさっぱりして帰宅したところ、実家の寒さで発作を起こし倒れたのではないかなと話しております。

なんで私たちの言うことを聞かなかったのだとか、色々思う所はあれど
満面の笑みの遺影を見ていると(酔っぱらってにっこにこの写真にしました)
行方不明のまま死亡とかじゃなく、倒れてもすぐ見つけてもらえてよかったなと
思います。

父との思い出

母から頼まれた名前を忘れて違う名前で出生届を出した

父との思い出などを。

まずは私の名前。私の名前は母が父に依頼した名前と一文字違うのです。
今の名前よりシュッとしたかっこいい名前だったのですが、父が病院から市役所までの道のりで度忘れしてしまいまして、姉の名前の一文字をくっつけて母の依頼した名前とは少し違う名前になったという。

まあ今の名前も気に入っているし、何よりその父のすっとこどっこいエピソードも好きなので結果オーライなんですが。

私の左利きを矯正

次に私の左利き矯正の話
今は左利きを矯正することもないのですかね。

「最近は社会も多様化し、『みんな違っていい』という考えが浸透してきて、『個性尊重』『人権尊重』と言われ始めてきています。そのおかげで現在では『左利きも個性』と見なされるようになり、矯正しなくてもよいと考えられるようになりました。」

※ウーマンエキサイト・『子どもの左利きは矯正しない方がいい!?【育児の新常識】』より引用

私は昭和48年生まれのばりばり昭和の子なので、個性尊重とか人権尊重とかなくて赤子の頃から矯正されていたそうです。

食事の時間に私が左手でフォークやスプーンを持ったら、父がそっと右手に持たせるということを繰り返していたそうです
そして、ある時父が出張か何かで不在の時に左手でスプーンだったかフォークを持った私が一言、「パッパ(父さん)」と呟き、右手に持ち替えてご飯を食べたという。

あっ父さんが左手で食べろって言ってたな!と思ったのでしょうね。
そこから右手を主に使うようになったとか。

赤子の頃なので怒られた覚えがないのですが、たぶん父が根気強く持ち替えたんでしょうね。

「利き手を直すのは、子どもにとって簡単なことではありません。なので、大人にいくら『右利きに直しなさい』と言われて、子どもがその気になっても、思い通りに直せないでいると、自分の能力や努力不足のせいと思い込み、自信を失くしてしまう可能性があるのです。」

さらに、左利きがなかなか直らない子どもに対して、「左手はダメでしょ」「何度言ったらわかるの?」「習字は右手と言ったでしょ?」と親が叱ったり、怒ることは、子どもの自信を喪失させるだけでなく、親子の良好な関係の形成を妨げることにもなるそう。「子どもは叱られることが多いと、『自分は愛されていないのではないか』『もしかしたら嫌われているのではないか』などの疑念が出て、親への不信感にもつながってしまうんです。

※ウーマンエキサイト・『子どもの左利きは矯正しない方がいい!?【育児の新常識】』より引用

こういうのを読んでいると、鉛筆とか持たない赤子時代に矯正されてよかったんだなあと思いますね。
でもとっさに出る手は左手なので、根本的には左利きは変わらないのかもですね。

札幌に行く時は車でバス停まで送ってくれていた

しめさばさんに会いに行く時はいつも父がバス停まで送ってくれていました。
なんせ早朝に出かけますのでね。
そのお礼と言うか運賃は、六花亭のマルセイバターサンドでした。
月に2~3度札幌に行っていた気がするので、そのたびに買っていましたね。

六花亭のネットショップで見てみたらネットショップの方が安いですね。送料という事かな、、?)

しめさばさんと仲が良かった

しめさばさんとは出身大学も同じだし、名前も読み方は違うけれど同じで
父はしめさばさんが可愛かったようです。

警察の試験になかなか受からなかった時に母が愚痴っていたらかばってくれたし
警察官になったら結婚する的な感じだったので
何度も転職しても何も言わなかったり。
自身も会社の都合で仕事が変わったりとか色々大変そうだったからかな。

ちなみにニッコニコの遺影は何の写真を使ったかと言うと、結婚してすぐの頃
実家に遊びに行き、酔っぱらってしめさばさんと肩を組んで二人で爆笑している写真なのでなんだか、遺影を見るたびグッときます。

他にもいろいろあるのですが、あんまり濃い思い出を書いても身バレになるのでこのへんで。

晩年の父

母の方が自由奔放で感情で生きているような感じで、父はいつも静かで穏やかで
しかし怒るとめちゃくちゃ怖い存在。

叩かれましたし、あまりに怒らせて辞書が飛んできたこともあります。
まあ私の事だからそこまで怒らせるようなことをしでかしたのでしょう、、

それが晩年、まあ去年の秋くらいからですが母が入院していないのが辛かったのでしょうね、まったく言う事を聞かなくなりましたね。
昔はもうちょっと柔軟な考え方をする人だったんですが、ひたすら否定、拒否、そして罵倒。
私も黙って聞いているタイプではないので言い返してしまって大げんか。

姉にも否定、拒否をするもののそれに対して怒る姉をまあまあとなだめていたそうで、なんでそんな対応違うんだろうとムカついたり、私はそういう文句を言いやすいのかなとも思ったり。

最後に話したのも、お互い軽く怒り気味だったような気がします。
もうちょっと甘えさせてあげればよかったなと後悔していますね。
なのでその分、ニッコニコの遺影に話しかけているところです。
遅いんですけど

母は容体が日々変化し、あまり良い状況ではないため父のことを話せておりません。今後どうなることやら。。

葬儀を終えて

葬儀は家族葬で我が家と姉宅と姉の義妹とでこぢんまりとしたものでした。
まだ母は存命なので、家もとくになにもせずに。
離れて暮らしていたからか、まだ父が亡くなった実感がともなわなくて
ぼんやりしています。
今後はやることが増えてくるのだろうから、その勉強をしよう、私もしっかりしようと思っております。

親の死後の手続き関係についてはどうやったらいいのかということは
勉強を兼ねてこちらでも書いていこうと思います。
もしよかったら読んでみてください。

長々とお留守して申し訳ありませんでした。また書いていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。






あ、宜しければ・・・。

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