先週から今週にかけては母の情報が錯綜して心の中が怒涛でした…笑
先週の姉の話では
「口からごはんを食べるリハビリをしている、起き上がるリハビリもしている」
で、おお、少しずついい方向に向かっているのだなと一安心。
それが月曜日に父に電話をしたら
「退院することになった、水曜日に病院で話を聞いてくる」で、
”えっそんな数日で口から食事が摂れるようになるの?そしてバリアフリーじゃなさすぎる我が実家で母が生活できるの?”と困惑。
あまりに困惑したので火曜日にケアマネさんに電話して、退院後どうするかなど
相談に乗ってもらってちょっと気分が落ち着き。
そして水曜日に父に電話をしてみたら
「今の病院は退院することになり、〇〇病院に転院することになった」と。
あれっ、退院じゃなくて転院することによる退院だったの???とまた困惑。
(出先で父に電話をしたので聞き違えたのかもしれません)
そして母の余命についても教えてくれ、まあそういうことになるよなあとは思っていたけれど、、辛いですねやはり。
退院と聞き愛鳥を思い出す
親とインコを一緒にするなといわれそうですが、退院という情報を聞いた時
(結局退院じゃなかったんですが)
愛鳥・はちを思い出しました。リハビリ途中ではあるけれど、もう打つ手がなくなったのかなと。
はちが退院することになったのは、考えつく医療を施してきたけれど体重減少が続いたからだったので。
母が退院だけじゃなく転院なのは、食事を口から摂取することができないから
なので、それもまた「強制給餌できないから家に帰すことができない」と
はちのことを思って泣いた日々を思い出したりして。
ちなみに母と同じように、点滴ではないけど強制給餌で餌を食べていたのが
退院してからは自分で餌を食べられるようになったのですが。
母も実家に戻ったらいきなりごはん食べられるようになったらいいなあ
なんて思ったり。
余命宣告
余命宣告とはこうしなさいという明確なルールはあるわけではない、
そして正確な余命宣言はそもそも困難、、とTwitterでもフォローしツイートを
拝見させていただいている、がん研究者の大須賀覚先生が仰っていました。
(がんの「余命宣告」の正しい意味を知っていますか?の中で)
しかし上記の記事の中で、
これから治療を始めようという時に「余命宣告」をする意味はあまりありません。しかし、余命宣告が意味を持つ場面もないわけではありません。
※がんの「余命宣告」の正しい意味を知っていますか?より引用
それは、本当に進行してしまったがんで、すでに多くの治療オプションを使い果たし、今後に行える治療がとても限られている場合などです。
こういった記載もあり、母の状態がそれだったらこれは正確な余命だったのかなあとか思ったりも。
しかし余命宣告を受けた私がやることは、普段通りに生活して母が元気にもっと長生きしてくれることを祈り、それからコロナが落ち着いたら実家に帰省することだけなので、うん、母の生命力を信じたいと思っています。
それでも準備は必要なので、父にはお金の事とかそういう、生活に関わることを
確認しておかなくてはいけないなと思っています。
母がなにか父に説明しているならよいのですが。
父のフォロー
大事なのは父のフォローですね。
姉も心配なようで、
先日は「朝から◎◎から電話きた、俺の事心配なんだな」と笑ってました。
父、母のことが大好きですからね。
私がレトルトやなにか手をかけて食べるもの(と言っても炊飯器に入れるものとかなんですがね)を送ったら面倒くさがったけれど、チョコレートは喜んだので
お菓子でも送ってやろうかな、いやでも今は食生活が微妙だからあんまり送りたくないな、、糖尿病になったらやばい、、
そう、食生活。
口を出しすぎて父がこじれたので最近は放置気味ですが、食生活がめちゃくちゃ心配なのです。ちょっとまたケアマネさんに相談してみようかな、、
今日は誰のために書いたのかあまりよくわからない記事となりましたね…
しかし余命宣告の件、大須賀先生の記事を読んだらちょっと気持ちがまた落ち着いたような気も。ぜひ読んでみてください。
それでは今日はこのへんで。おやすみなさいませ。
共著ではありますが大須賀先生の書籍。
それから漫画『臨死!!江古田ちゃん』や『モトカレマニア』の作者、瀧波ユカリさんのお母さんの著書。
瀧波ユカリさんもツイッターでフォローしておりまして、こちらのお話も
知ってました。
今読むとすごくつらいけれど、すごくわかるんだろうな。でもまだ読めないな。。
ちなみに瀧波先生はこんな記事も。まずはこちらを読もう。。
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母もすごく心配だけれど、母の生命力を信じるしかできないので
父にちゃんと食べさせないとなあ、、レンジがあればこの野菜をMotto!!とか
楽に美味しく食べられそうなのに。。
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