9年前は山形県米沢市に住んでいたので、3月に入るとどうもそわそわしてしまいます。
当時の様子はこんな感じ。
(私のブログ、散歩日和より)
震災が起こってちょうど1週間後の様子です。
この記事の目次
上↑の記事にもあるように、米沢市はライフラインがすべて無事で
県内では一番被害が少なかった覚えがあります。
米沢市、ありがたいことに地盤が強いようですね。
雪は災害レベルで降りますけどね….
不安だったのは福島市に隣接していたので
放射線量が割と高かったことでしょうかね。
あと物流が途絶えたこと。
いまだにあの棚すっからかん状態を見るとちょっとメンタルやられます。
ただ放射線量のことは次第にどうでもよくなってきて
その頃のしめさばさんとの合言葉は「ただちに影響はない」でした。
あと早野龍五さんと糸井重里さんの共著、『知ろうとすること。』を読んで
正しく知って正しく怖がることをこの頃から頭に置いておくようになりましたね。
この正しく怖がる、は今のコロナウィルスに対する考え方にも通じてます。
東日本大震災が起こった当時は
しめさばさんはサービス業に従事していたので、家にはあまりいなく。
何かあったらはちを連れて避難所に行かなくてはいけない、と
すぐ飛び出せるようにジーンズ、Tシャツを着て枕元にはスニーカーと
はちの餌など入ったバッグとはちを入れるキャリーケージを置いて寝ていました。
自分で非常用持ち出し袋を作ってはいましたが
そろそろこういうのを買っておかねばいけませんねえ。
日本は災害大国ですし、またどこに住むかわからない我が家なので
そろそろそういった備えも万全にしていかねばなと思っております。
9年前の今頃も何かと不安でしたが
今も不安ですねえ。コロナウィルス周りで。。
いい加減コロナに飽きつつありますけども。
でも9年前もちゃんと桜は咲きましたし、
米沢市、松が岬公園(米沢城址)お堀端の桜
色々旅行して楽しかったですし。
2011年4月上旬に喜多方に行った時に買った鶯笛とはち(目をそらし中)
ちょっと無責任な言い方ですが、何とかなるさ~なんて思って暮らしています。
比べる問題ではないけれど、東日本大震災もなかなか心配でしたし。
牛乳やパンがすぐ手に入るからまだ大丈夫みたいな(←そういう問題ではない)
2011年8月に行ったアクアマリンふくしまで見かけた上目遣いがセクシーなふぐ。
ということで、これからも正しく知って、
正しく怖がって。
そして目の前のやることをやって暮らしてゆこうと思います。
※今日使った写真はすべて2011年に撮ったものです。まだガラケーだったので
小さい画像で見づらくてすみません。
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