母の葬儀から2週間が経ちました。
どう書いたらいいかわからないまま時間ばかりが経ってしまったのですが
やっぱ書きたいな、ということで母と私について書かせていただきたいと思います。
母は大腸がんを患っており、最終的にはそれが原因で亡くなりました。
父は突然亡くなりましたが母は2月に入ったあたりからどんどん悪化してゆき
姉から2月5日くらいに「1週間、1カ月かもしれない(余命が)」と言われました。
次の週は割と落ち着いていたので”持ち直すのかもしれない”などと淡い期待などを抱いていたところ、2月13日14日のあたりにさらに悪化して2月15日の仕事中に姉から「ここ2、3日が山場らしい」と連絡が入り、16日に「今日明日かもしれない」と言われ、17日に亡くなりました。
父の時と違い10月に2回目の入院をしたあたりから覚悟をしていたのですが
まあ覚悟ってできないものですね。葬儀を終えるまで号泣はしないものの、いろんな場面で涙が止まりませんでした。
ただ、葬儀で戻った時に、母の顔を見ながら話しかけられるのが嬉しくて。
なんせ2年会ってませんでしたし、電話で話したのも1月頭にちょこっとだったので。
父の死を母に話せてませんでしたので、父の遺影を持って行って
「父さん死んだんだよ、言えなくてごめんね」と話せたのもよかったかな。
それが心残りでしたので。
それから火葬場から母の遺骨を抱いて戻ってきて、心の中で話しかけたり
思い切り泣いたりして、母をゆっくり見送ることができたのもよかったです。
母との思い出
母との思い出は父との思い出よりたくさんあって細かすぎてほんと身近なことなんですよね。
まだ小さな子どもの頃、冬で寒くて母が自分のオーバーコートの中に私を入れてくれたりとか。
カツゲンを外で一緒に飲んだとか、コロッケを食べながら歩いて帰ってきたとか。
ちなみに一緒に飲んでいた時のカツゲンは小瓶入りなんですけども。
方向音痴な人で、子供の頃に一緒に札幌に遊びに行くと必ず道に迷って
行きたいところに行けなかったなあとか。
札幌に遊びに行くとまず道庁の池を眺めて、その次にグランドホテルでトイレを借りたりランチしたなあとか思い出します。

大人になって、結婚してからはよく長電話をしていましたね。
ドラマの趣味や料理好きなところが同じだったので、今観ているドラマについてだとか、最近作って美味しかった料理などを話したりしていました。
母から受けた影響
喫茶店が好き
若い頃は「趣味は喫茶店、カフェ巡りです」と言うほど喫茶店、カフェ好きなんですが、初めて行った喫茶店は母と行った、室蘭のすずやという喫茶店でした。
母は買い物途中で疲れたらすぐ喫茶店に入ったので、私の中に
「疲れたら喫茶店でお茶」というのが刷り込まれてしまったようで、今もちょいちょいお茶してます。(お金的にアレな影響なんですけども)
食べること、料理することが好き
母は料理を作ること、食べることが大好きでなるべく手作りの物を私たちに食べさせてくれました。
しめさばさんと結婚してびっくりされたのが、ドレッシングや冷やし中華のたれを自作すること。母がいつも作っていたのですが、ドレッシングは市販のを買えばいいのだなと思ったものです。
(結局使い切れずに捨ててしまうので、今もやはり自分でドレッシング作ってるんですけど)
私も作りたくない時はほんとに作りたくないんですが、まあまあ料理好きで
食べることが大好きなのは母の影響かなと。
夫に尽くしすぎるきらいがある
母の宿敵(笑)、祖母が父を台所に入れないように、料理させたりしないようにと言ったから母はとにかく手作りの料理を父にふるまい、父の身の回りのことを
何でもしておりました。
私も結婚してから2年程は専業主婦だった為、しめさばさんの身の回りのことを
何でもしておりました。母を見て育ってきましたからね。
今は自分も働いているし、あと身の回りのことをやってあげすぎると父のように何もできない人になってしまう、、となるたけしめさばさんにやってもらってます。
いざという時に姉御体質になる
母は6人兄弟の長女でしたし、小学校の先生から始まり個人塾の先生、
某塾の先生を70歳まで勤め上げた人です。
なので「私のいう事を聞いておけばいいの」的なところがあったり、非常に気が強かったり。おっとりした父より折衝事には向いていたんじゃないかと。
私は気弱なタイプなんですが、年を取るにつれて母の気の強さが引き継がれてきているような気がしています、、そんな自分が少し嫌です、、
母に言われて今も心に残ること
①米沢に行くという時に、初めて本州に渡るということで不安だった私に
「自分の事を誰も知らない場所っていいわよ。気楽よ。」と言ってくれて、
少しだけ不安が和らいだのを覚えております。
自分もまったく土地勘もなく知り合いもいない室蘭に嫁いできたからなのでしょうね。
②それから横浜に引っ越した時の年賀状に
「人間到る所青山ありですよ 」と書いていて青山ってなんじゃ?と思って調べて、ちょっと心強く思ったりしました。ちなみに意味はこちら。
世の中のどこで死んでも、骨を埋める場所ぐらいはある。故郷だけが墳墓の地ではないのだから、大望を達するために郷里を出て大いに活動すべきである。
※コトバンクより引用
まあこういうことを言った後に
「あんたいつ北海道に帰ってくるのさー、早く帰っておいでよー」という
矛盾に満ち溢れた母だったんですけども。笑
そう、母は矛盾の塊でしたね。いいこともたまに言うんですけど。
基本的に何も考えずに言葉を発しています…笑
母を一言で言うと
パワフル。
矛盾に満ち溢れたと書くとちょっと母の遺影が怒りだしそうなので、パワフルにしておきます。
人に何かを教えることが大好きだったので、それを70歳までやりとげ。
癌にかかっても美味しいものを食べて過ごし。私や姉が送ったお菓子も美味しく平らげ。
大好きな漢字の書き取り、庭のお手入れ、新しい料理の開発を日課とし。
(母の闘病日記をもらってきたんですが、ビャンビャン麺のビャンという字を練習していました笑)
闘病日記の最後の方は、母のきれいな字(ものすごく達筆な人でした)
がかすれて乱れていて見ていてもつらかったんですが最後まで頑張ろうとしていたんだな、と。
緩和ケアで入院していた病院でも本が読みたくなった、本を送ってくれと私に連絡してきていましたしね。
最後までパワフルに、楽しく暮らしていた母を見習って、私もパワフルに生きていこうと思います。お母さんありがとね。
とりとめがなく、個人的な記事になりすぎておりますが、
今日はこのへんで失礼いたします。おやすみなさいませ。
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花が大好きで美味しいお菓子が好きな母でした。もう母の日にプレゼントとかクリスマスにお菓子とかあげられないんだなあ、もっと送ってあげればよかったなあとちょっと後悔しています。
ちなみにトップ画像は母が大好きだった、室蘭の回転寿司ちょいすです。
帰省したらよく一緒に行っていたなあ。今回はしめさばさんと行ってきました。7500円くらい食べました…



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